開館30周年記念展 II 『工芸の力21世紀の展望』
東京国立近代美術館 工芸館

カタログ文章   2007.12

 粘土や釉薬、あるいは焼き上がった陶と私のやりとりには、たくさんの「仕組み」との出会いがあります。この「仕組み」に私の新たな感覚が目覚め、これを面白がっていると半ば勝手に「表現」が派生して驚かされます。

 こうした感覚に意表をつかれて出る発想は不思議に心地よいもので、それを試せば、この試行過程でもまた、「仕組み」の面白さが私を待ち受けています。
待ち受ける「仕組み」に気付かされ、発想し、また試します。
この成り行きがそのまま「表現」みたいになるのです。 

 意表をつかれるたびに違って見える世界の鮮やかさ。
 こんな風に対処したのか、という自分の振る舞いの楽しさ。    
 ものごとはこうなっていたのか、といったあの感じ。

このようなことが私を支えています。


 さて、こうした成り行きの中でいつも気になるのは、「仕組み」に目覚める“感覚”とそれを面白がる“意識”の間です。この二つの間には何か秘密があるような気がしています。「あれっ?」と思う瞬間のことでしかなく、うまく記憶すらできません。
 ともかく“感覚”はいつでも“意識”に先立ってあります。
ですから私にとってはいつでも「もの」や「体」、それらが織り成す「仕組み」が先です。「頭」や「意味」は一歩遅れてついてきます。
この一歩の差に、芸術が潜んでいるように思うのです。